2008年8月母に乳癌が見つかる。
家族ができる事、私にできる事、がん患者の家族は一体何ができるのか。
治療の記録を書き留めとく日記。
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8月21日の午後、実家の母に会いに行った。
私の家から、実家までは、電車で30分ほどの距離。
いつものように、母がお茶を入れてくれ飲んでいると母が口を開いた。
「お母さんね。病気になっちゃったよ。」
泣かないと決めていたのに、もうその言葉を聞いた瞬間涙が溢れて来てしまい、下を向いてうん。うん。と首を立てに振る事しかできなかった。
髪の毛で顔を隠しながら、横を向き
「何、頭の悪い病気・・・?」といつもと変わらないように話を振った。
「病気なんだよ・・・。」と再び母が言う。
私の涙に気づいたのか
「何?知ってるの?」と聞いてきた。
「うん。知ってる。お父さんとさっき話したし・・・」というと
「いやねぇ~お父さんは、あれほど言うなって言ったのに。
トメは嫁に行ったんだから、家の娘じゃないんだからって言ったのに!
本当、ダメね~お父さんは・・・。」と笑いながら話していた。
そして今度は真剣な顔に薄っすら涙を浮かべて
「お母さん、自分の身体を甘くみてた・・・。
病気になんてならないって思ってたの。でもね、乳癌だって・・・。
もう長くないのかもね。歳だし病気が治っても、もうそういう歳なのかも知れないね・・。
でも、大丈夫だから。治療に専念しようと思って今日仕事も辞めてきた。お母さんの事は心配しないで。」
と話す。
「いやだよ!心配だってするよ。看病だってするよ。
まだ、嫁に行っただけで、孫の顔だって見せてないじゃん!親孝行だってしてないじゃん!このまま何かあったら私、後悔しかないよ・・・。
悪いけど、看病だってするからね。病院だって着いてくし・・・。
どんなになってもいいよ。どんな姿でもいいよ。ただ生きててよ!」と泣きながら話た。
その日は、母は泣きながら沢山の事を話し、私は母よりも泣きながら話を聞いた。
女の私が生まれた時は、お兄ちゃんや弟が生また時よりも嬉しかったこと。
私の子供を見たかったこと。
お父さんの会社勤めがあと5年で終わるから、あと5年は元気で居たかったこと。田舎で暮らす祖母の面倒を見たかったという後悔。
しばらく2人で大泣きした後、お互いスッキリして来たのか
後悔だらけの後ろ向きの話から
前向きに乳癌に向き合おうという話に変わっていた。
あの日の大泣きは治療に向き合う第一歩だったかも。
私の家から、実家までは、電車で30分ほどの距離。
いつものように、母がお茶を入れてくれ飲んでいると母が口を開いた。
「お母さんね。病気になっちゃったよ。」
泣かないと決めていたのに、もうその言葉を聞いた瞬間涙が溢れて来てしまい、下を向いてうん。うん。と首を立てに振る事しかできなかった。
髪の毛で顔を隠しながら、横を向き
「何、頭の悪い病気・・・?」といつもと変わらないように話を振った。
「病気なんだよ・・・。」と再び母が言う。
私の涙に気づいたのか
「何?知ってるの?」と聞いてきた。
「うん。知ってる。お父さんとさっき話したし・・・」というと
「いやねぇ~お父さんは、あれほど言うなって言ったのに。
トメは嫁に行ったんだから、家の娘じゃないんだからって言ったのに!
本当、ダメね~お父さんは・・・。」と笑いながら話していた。
そして今度は真剣な顔に薄っすら涙を浮かべて
「お母さん、自分の身体を甘くみてた・・・。
病気になんてならないって思ってたの。でもね、乳癌だって・・・。
もう長くないのかもね。歳だし病気が治っても、もうそういう歳なのかも知れないね・・。
でも、大丈夫だから。治療に専念しようと思って今日仕事も辞めてきた。お母さんの事は心配しないで。」
と話す。
「いやだよ!心配だってするよ。看病だってするよ。
まだ、嫁に行っただけで、孫の顔だって見せてないじゃん!親孝行だってしてないじゃん!このまま何かあったら私、後悔しかないよ・・・。
悪いけど、看病だってするからね。病院だって着いてくし・・・。
どんなになってもいいよ。どんな姿でもいいよ。ただ生きててよ!」と泣きながら話た。
その日は、母は泣きながら沢山の事を話し、私は母よりも泣きながら話を聞いた。
女の私が生まれた時は、お兄ちゃんや弟が生また時よりも嬉しかったこと。
私の子供を見たかったこと。
お父さんの会社勤めがあと5年で終わるから、あと5年は元気で居たかったこと。田舎で暮らす祖母の面倒を見たかったという後悔。
しばらく2人で大泣きした後、お互いスッキリして来たのか
後悔だらけの後ろ向きの話から
前向きに乳癌に向き合おうという話に変わっていた。
あの日の大泣きは治療に向き合う第一歩だったかも。
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8月21日の午前中、父親に電話した。
「母さんが病気だ。昨日病院に行ってきた。乳がんだってよ…。」
「うん。知ってる。」と昨夜弟に聞いた事を話した。
シコリの大きさはどれくらいなのか、病院での診断結果はどうだったのか、転移はないのか、父親に聞いた。
まだ検査の途中だから、転移とかは分からない。
小さな町のクリニックから紹介状をもらって大きな病院に昨日検査に行って来た。
右胸に大きなシコリがあり、乳がんだと宣告されただけ。
情報はそれだけ。
「お母さんはどうなの?痛がってるの?」
「痛みはないらしい。6月ごろから、胸が変だって言ってて病院行けて言ってたんだよ。
今は落ち込んでるよ。元気ないよ・・。
お母さんが、お前には話すなって言ってたから聞いたって言うなよ。」
母が落ち込んでるのは勿論だが、電話の父も、落ち込んでるのが分かった。
私も、辛い。みんな辛い。
この世に神様なんていないんだ。と、そんな事を思った。
「わかった。お父さん、頑張ろうね。」と声を掛けたが何も返事がない。
「もしもし?お父さん?もしもし?」
「もしもし・・」と小さな詰まった声が返ってきた。
「お父さん、頑張るんだよ!私も頑張るから、お父さん、頑張ろうね!みんなで頑張るんだよ!」
「あぁ・・」と電話の向こうで頑固親父が泣いていた。
電話を切ったあと、私も泣いた。
母から、私には乳がんだと言うなと言われていたのに、話て来た父は
私と同じ不安に耐え切れなかったんだと思う。
転移があるのか?この先どうなるのか?もっと最悪な結果が待っているのか?元気になるのか?いろいろな不安が押し寄せる。
頑固者で、普段は怖い父だが、さすがに母が乳がんという宣告を受け
母を支えるという状況に一人で立ち向かえる程、気丈ではいられなかったのだと思う。
父との電話を切ったあと、我慢していた涙を我慢するのを止めた。
乳がんと宣告された母本人は今どんな心境だろう…。
怖いだろう…。辛いだろう…。不安だろう…。
母を思えば思うほど涙が出て来る。
とりあえず泣こう。泣くだけ泣いたら、
午後、何もなかったように、実家の母に会いに行こうと思った。
「母さんが病気だ。昨日病院に行ってきた。乳がんだってよ…。」
「うん。知ってる。」と昨夜弟に聞いた事を話した。
シコリの大きさはどれくらいなのか、病院での診断結果はどうだったのか、転移はないのか、父親に聞いた。
まだ検査の途中だから、転移とかは分からない。
小さな町のクリニックから紹介状をもらって大きな病院に昨日検査に行って来た。
右胸に大きなシコリがあり、乳がんだと宣告されただけ。
情報はそれだけ。
「お母さんはどうなの?痛がってるの?」
「痛みはないらしい。6月ごろから、胸が変だって言ってて病院行けて言ってたんだよ。
今は落ち込んでるよ。元気ないよ・・。
お母さんが、お前には話すなって言ってたから聞いたって言うなよ。」
母が落ち込んでるのは勿論だが、電話の父も、落ち込んでるのが分かった。
私も、辛い。みんな辛い。
この世に神様なんていないんだ。と、そんな事を思った。
「わかった。お父さん、頑張ろうね。」と声を掛けたが何も返事がない。
「もしもし?お父さん?もしもし?」
「もしもし・・」と小さな詰まった声が返ってきた。
「お父さん、頑張るんだよ!私も頑張るから、お父さん、頑張ろうね!みんなで頑張るんだよ!」
「あぁ・・」と電話の向こうで頑固親父が泣いていた。
電話を切ったあと、私も泣いた。
母から、私には乳がんだと言うなと言われていたのに、話て来た父は
私と同じ不安に耐え切れなかったんだと思う。
転移があるのか?この先どうなるのか?もっと最悪な結果が待っているのか?元気になるのか?いろいろな不安が押し寄せる。
頑固者で、普段は怖い父だが、さすがに母が乳がんという宣告を受け
母を支えるという状況に一人で立ち向かえる程、気丈ではいられなかったのだと思う。
父との電話を切ったあと、我慢していた涙を我慢するのを止めた。
乳がんと宣告された母本人は今どんな心境だろう…。
怖いだろう…。辛いだろう…。不安だろう…。
母を思えば思うほど涙が出て来る。
とりあえず泣こう。泣くだけ泣いたら、
午後、何もなかったように、実家の母に会いに行こうと思った。
ちょうど1ヶ月前、母が乳癌だと知った。
8月19日と20日の午前中、父親から電話があったものの、電話に出る事ができず、20日の夕方父親の携帯に電話するも、話す事なくすぐに切られてしまった。
つづけて母親の携帯に電話をするが、珍しく留守番電話。
20日の夕方、父親から
今日は電話をもらっても、電話に出れませんので明日の午前中必ず電話をいれるようにとメールがあった。
何か悪い予感がした。
母の電話が留守電になっている事。父親が2日連続電話を入れてきたこと。
今日は電話に出れないから明日必ず電話をして来い。というメール。
夜9時ごろ、まだ実家に暮らす弟に
家で何かあったの?とメールを入れると
「再検査をしないと詳しくはわからないけど、お母さんは乳癌のようです。」
とのメール。
悪い予感は的中。
母62歳。今まで健康体で大きな病気などした事のない母。
乳癌なんて・・・。
悪い予感がしていたせいなのか、聞いてしばらくは涙一つでなかった。
母が乳癌と知って、私が最初に起した行動は
ネットで乳癌を検索した。
それしか出来ない。 死亡率、生存率、手術方法・・・。いろいろなキーワードを使って検索した。
でも、詳細がわからなければ、詳しく調べる事ができない。
床にゴロっと寝転がった瞬間、大きな涙が出てきた。
8月19日と20日の午前中、父親から電話があったものの、電話に出る事ができず、20日の夕方父親の携帯に電話するも、話す事なくすぐに切られてしまった。
つづけて母親の携帯に電話をするが、珍しく留守番電話。
20日の夕方、父親から
今日は電話をもらっても、電話に出れませんので明日の午前中必ず電話をいれるようにとメールがあった。
何か悪い予感がした。
母の電話が留守電になっている事。父親が2日連続電話を入れてきたこと。
今日は電話に出れないから明日必ず電話をして来い。というメール。
夜9時ごろ、まだ実家に暮らす弟に
家で何かあったの?とメールを入れると
「再検査をしないと詳しくはわからないけど、お母さんは乳癌のようです。」
とのメール。
悪い予感は的中。
母62歳。今まで健康体で大きな病気などした事のない母。
乳癌なんて・・・。
悪い予感がしていたせいなのか、聞いてしばらくは涙一つでなかった。
母が乳癌と知って、私が最初に起した行動は
ネットで乳癌を検索した。
それしか出来ない。 死亡率、生存率、手術方法・・・。いろいろなキーワードを使って検索した。
でも、詳細がわからなければ、詳しく調べる事ができない。
床にゴロっと寝転がった瞬間、大きな涙が出てきた。
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自己紹介
トメ(33才)夫と二人暮らし。
2008年8月母62歳の右胸、右脇リンパ節に乳がんが見つかる。乳がんステージ3A
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