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2008年8月母に乳癌が見つかる。 家族ができる事、私にできる事、がん患者の家族は一体何ができるのか。 治療の記録を書き留めとく日記。
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今日、母の所へ行こうかと思っていたが、家のことをやっている内に
時間が微妙になって来てしまった。

今日は電話だけにして、明日行こうと母の携帯に電話。
呼び出し音がするも出ない。

家の電話にかけるも、出ない。


寝てるのかな?お風呂かな?


30分後また電話。家も、携帯も出ない・・・。

何度電話しても出ない。


ちょど白血球が下がり始めてる頃。

家で独り倒れてるとか?具合悪いとか・・・?


ものすごくイヤな事ばかりが頭をよぎる。


携帯電話片手に、家の中をウロウロ・・・ウロウロ・・・


父と弟に電話すれば何か分かるかも。
でも何も知らなかったら、きっと父親はパニックになりそう・・。


父に電話する前にもう一度母の携帯に電話してみたら

出た!

「今ど・・」

「今ね。お友達と一緒だから家帰ったら電話する」と言われ切られてしまった。

いいのよ。いいのよ。友達と気晴らしも大事さ。


でも電話くらい出てよ~。


患者本人より周りが過敏になりすぎるってあると思うけど

「心配しないで」って言われても心配は尽きないものなのです・・・。
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入院2日目病院を後にした私と父は

実家に戻り、弟を連れて家の近くの中華屋に行った。

会話はやはり母の事。
抗がん剤の副作用、手術、術後治療。
その都度、母がどうなって、日常生活がどうなって行くのか誰も分からない。

母が乳がんの告知を受けて、気落ちしている時に
「術前治療、手術、術後治療、その後定期的な検診とあるけど
大まかな治療は1年ちょっとだよ。とりあえずシンドイのは1年だと思うよ。1年間頑張ろうよ。」と自分にも言い聞かせながら母に話していた。
その言葉を父と弟にも話した。

本当は母の乳がんを知らされる直前、私自身、また働きに出るつもりだった。
子供のいない夫婦2人暮らしといっても、生活に大きな余裕があるわけでもない。33歳。既婚者。
社会復帰するのには微妙な年齢で私にとっても大きな1年。大きな1歳。
働きに出るつもりでいた事は母も父も弟も知っている。

国家試験を直前に控えた弟に負担は掛けたくない。
父は出張が多い為、家を留守にすることが多い。
そして異常なほどの心配性。

現実として、お金もかかるだろうし
父ちゃんはまず、働く。
弟には何が何でも国家試験に合格して。
お母さんは私が見る。しばらく仕事はしないから。
お母さんの様子を見て仕事は考えるから。と話をした。
弟が「ありがとう」と言ってきた。

付きっ切りの介護は必要ないと思うけど
これから何があるかわからない。
誰もどうなるのか分からず、不安だけがある。
私が体を空けておく事で、家族も安心できるだろうし
私自身も安心できる。

帰る時、父親から「交通費」と言って1万円を手渡された。
先週も肩たたきをした時、今までもらった事のない1万円をもらったばかりだった。
「いいよこの間もらったお金あるから」と言ったが
「あれはあれだ。とっとけ。」
と渡された。
父は父で私に悪いと思っているのだろう。

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自己紹介
トメ(33才)夫と二人暮らし。 2008年8月母62歳の右胸、右脇リンパ節に乳がんが見つかる。乳がんステージ3A
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